91歳 毎日10000歩 歩き過ぎで腰骨が曲がり足痛入院しました。漢方薬と仙人丸で毎日元気な父
91歳 毎日 10000歩は歩き過ぎよ 3000歩位にしてね
私(木室ミヱコ)の注意を聞かない父です
2017年 10月の3周目 父が入院しました。
以前(72歳の時) 足をチェンソーで切断事故を起こした時に入院した
佐伯市の南海病院に入院です。
父は 病院の先生や看護婦さんの指示に
従わない我儘さがあり
今回も我儘して追い出さなければよいけれど
とひやひやしながら 見舞いに行きました。
それ以前にも 製材所に積上げている木から落ちて
椎骨(ついこつ)または脊椎骨(せきついこつ)を4本折りました。
この時も 病院の部屋が空きが無くて入院できず
打撲の漢方薬と 自宅用に用意していた
鹿の角と亀の亀板の膏薬の貼薬で痛みが消えて
翌日には歩ける様になりました。
素晴らしい回復力です。
病室に行くと 23日月曜日からリハビリ病棟に移るとの事。
その会話を隣のベットで聞かれていたようで
谷川さんがいなくなったら寂しくなるなあ・・・
とお二人の方が同時にカーテンを開けて出てこられました。
人が集まると笑いこける様な話をする父ですので
ほっと 一安心 仲良くしてる
所で 入院した原因は
92才の父 毎日 10000万歩 歩き過ぎて
腰の骨がずれて
足にその痛みが来たそうで
兄が病院に自分の車で連れて行くと言うのに
自分で救急車を呼んで 入院したそうです。
あれほど 歩き過ぎは駄目よ
3000歩位にしておきなさいと言っていたのに きかない父です。
皆様年取っての歩き過ぎは やはり良くないですよ。
2006年7月21日の父のブログです
タイトル
「左足切断 大量出血 骨、肉グシャグシャ 大型チェンソーによる大事故 命救ったタイミングリレー」
平成10年2月18日 父72歳(当時 20年前)
父は 朝早く誰にも伝えることなく1人で椎茸用のなば木を
切る為に大型のチェンソーをバイクに乗せて 山に入りました。
家族は皆 父は何時もの様に 製材所で仕事をしているものと 思い込んでいました。
兄より、父がケガをしたとの事,
急いで大分県佐伯市にあります。
南海病院にかけつけました。
父の体質は普段から 把握しておりますので 大ケガをした人に
必要と思える 漢方薬 7日分と10日分と2種類用意して・・・・
大型チェンソーでほぼ 左片足切断
かろうじてつながっているのは、アキレス腱と細い骨の腓骨のみ
父は山中 急いで山から降りて 林道へ そしてケガをしていない右足でバイクを支えて
怪我をしている 足でエンジンをおこし国道へ出たそうです。
どうやって ペダルを踏み込んだのか覚えていないそうで
ただ このままここに居ては誰にも見付けられることなく
死んでしまうという思いが走ったそうです。
ガタガタ道の林道から 国道へ出たとたん
気のゆるみと出血多量で 目の前は真っ白になり
側溝に倒れ落ちたそうです。
チェンソーで切った時 握りこぶしで突き出すような勢いで出血して居たそうですが
チェンソーで切った後 そのチェンソーの歯の上に
大きな樫の木 直径30センチ程の木が倒れ落ち
またその上に椎の木のかかり木が2本倒れてきたそうです。
チェンソーで木を倒す時の計算が かかり木によって狂い 自分の所へ木が倒れてきたそうです。
その為 足の肉がグシャ、グシャになり 血止めの役割をし 国道まで出られたそうです。
出たとたん 偶然にも その時タクシーが擦れ違いざまに
様子のおかしい父を見て ドライバーの方が サイドミラーで 父を見ていたそうです。
そして 側溝に倒れこんだ父を見て 車を止め 後戻りしてくださったのです。
またまた タクシーに乗車されていた方は
大手術に何度も立会いした元婦長さん
その方が 血止めをして下さいました。
婦長さん曰く あのような大ケガは今まで見たことがない
普通の方は あの傷を見ただけでめまいして血止めできなかったでしょう。
またまた 偶然にも そこに携帯電話を
忘れて 家に引き返して 出勤中の 私の1年後輩であり
実家の隣の家のK君が通りかかり
元婦長さんが血止めするのを男の力でねじり上げ 止血を手伝ってくださり
病院まで自分の服を父の体が冷えないようにかけてくださりながら同行して下さいました。
またまた 止血中に父のお習字仲間であり
娘同様に家族中で お付き合いして下さっているY子さんが
通りかかり家族に事故を知らせる為に走ってくださいました。
お陰で父の住所、名前の確認 家族への早い時間での通知ができました。
通りがかりに 事故を目にした人達が もう あの状態では 命はないでしょう
という うわさが広まり父さんの葬式はいつですか?
何時からですか?
という 電話の対応に兄は追われたそうです。
またまた タクシーですが蒲江町で唯一アマチュア無線を
装備しており 病院へ連絡してくださいました。
病院へ到着するなり
父が「私は看護婦さんにこうして担架で運ばれて行くのが夢だったんだ」
などと冗談を言うものですから
輸血の用意をしてくださっていたのですが医師のかたが
「これなら 輸血する必要は無いと判断してくださったそうです。
またまた 結果 輸血しなかった事が非常に良かったそうです。
切断しなければならない足であるが
「今切断すれば本人のショックが大きく
腐る足だから 一応つなげておいて
後々 腐ってから切断すれば本人のショックが少ない」という事で
ボルトで繋げる手術をしてくださいました。
執刀医は28歳の若い女医さんです。
手術のあくる日 看護婦さんが ガーゼの取替えをするのですが、
血が突き出して止まらず包帯で締めるのですが
血液が突きとうして止まらず、
もう一回包帯また締めなおすのですが、それでも止まらず
とうとう 先生も来られて
「これは イケンナー こういう事は無いんだがなー 困ったなー」
脱脂綿とナイロン包帯締めて止血しました。
その後 外科の先生が「 肉が腐らないなー」と首をかしげていたそうです。
その後 抜糸に来られた3人の先生が肉が腐り黒い紫色の塊で
膨れ上がっている傷口を見て
「これはー 中がどうなっているのか 」
非常に心配そうにお話されていたそうです。
しかし 父は私(木室ミヱコ)の作った漢方薬を服用し
全く傷の痛みが無く つないだばかりの足の指が
手術直後 漢方薬服用後すぐに動くものですから
父は漢方薬が効いていると思い
先生に『傷口は順調に治っていますから
今晩は安心して御休みください。』と言ったそうです。
先生「それは こっちが言う話だろ」と言われたそうです。
確かに 足の指が動くのは私も当日、見舞った時に確認しました。
その後 ドンドン傷は治り45日間で 退院しました。
手術後 血の吹き出る現象は私にとっては 期待どうりの現象でした。
腐った血を外に押し出す事で 傷は治っていくのです。
入院中 私が2度目の見舞いに行った時
先生が父の足のレントゲンを見せてくださいました。
手術後ボルトを取ると おっしゃっていたのですが
そのボルトごと 白い骨が膜 となって骨の回りを厚く囲ってしまっているのです。
骨を グシャ、グシャ 左足は短くなって
びっコを引く筈なのですが 全く 正常に歩いているのです。
不思議に思い 父に畳の上にうつぶせに 寝てもらい両足の長さを比較いたしました。
健常者でさえ この様な姿勢で両足の長さが同じという人は珍しいのに
同じ長さなのです。
これには 全く想像もしておらず びっくりいたしました。
蒲江では 退院した父を見て 父に会ったと人が言うと
「人違いだろう まだ病院に居るはずだ」と言ってなかなか信じて貰えなかったそうです。
父の傷の治り方は今までに例が無く20倍の速度であるとか
「人間ではない 野生動物が治るような治りかただとか」
「72歳とは思えない20代でもない治り方だとか」
いろ いろ 首をかしげられていたそうです。
医師には申し訳ありませんでしたが、漢方薬を服用中の事はお話しませんでした。
それは漢方薬を取り上げられる事を何よりも恐れたからです。
もしかして わざと見逃していてくださってたかもしれませんね。
姉は見て見ぬふりをしてくれていたみたいと話していました。
姉は1ヶ月分の漢方薬を事故当初3日間で飲ませたそうです。
「今日はすごいケガでかつぎこまれた人がこの部屋に 入室するらしい
一晩中 痛みでうめき声を 上げるだろうから 皆我慢してあげようね」と
温かいお心遣いありがとうございました。
あらためて
タクシーの運転手さん
元看護婦長さん
仕事があるにもかかわらず 病院まで付き添ってくださったK君
家族に知らせに走ってくださったY子さん
手術を執刀してくださった28歳の女医さん
温かい 判断で治療してくださった外科の先生方
父の冗談に付き合ってくださった看護婦さん
同室の方々
父の命と左足があるのは皆様方の温かい心で助けて頂いたお陰です。
沢山の 命助かる為のタイミングを頂き 漢方薬を飲める父がいました。
心より感謝申し上げます。
漢方薬には
交通事故の後遺症、
あらゆる全ての外科手術後の腫れ、痛みの回復と後遺症、
捻挫、 骨折、打撲、大けがによる止血 内出血
に対応できる 薬が揃っています。
父の大けがや
娘の
2006年7月11日のブログ
「脳挫傷、外傷性くも膜下出血 、 頭蓋骨泉門の開き」を助けてくれたのも この漢方薬です
3日分 1944円です。
交通事故に遭遇した場合 非常に役立ちます
私はいつも車内に用意しています。