台湾の方は四柱推命で仕事のパートナーを決めます。
私(木室ミヱ子)の漢方の先生は
四柱推命で相手の運命を計算し
仕事のパートナーを得る方でした。
私の場合もそうでした。
運命計算を嫌がる私に
運命計算をしつこく しましょうと言われ
仕方なく 父に 生まれた時刻を尋ねました。
十二支の時刻です。3時間刻み
自宅での産婆さんによる 出産の為
出産時の時刻は 確実には分からない。
あまりにも ミエ子さんの運命が良い
本当なのか?
人相や体格でも 運命計算の先生は分かるそうで
その運命計算を確認する為に
台湾まで行くことを怖がる私を
確認の為に 連れて行かれた程です。
台湾に行く事を 怖がる私の為に
当時 中州で有名な
飯店のママさんが台湾に
同行して下さいました。
漢方の先生が言われました。
漢方薬を教えるには その方の運命を見ます。
3つの条件が揃わなければ教えられない。
●正しい心持ちの人
●漢方薬を理解する頭脳
●財力のある人
(財力のある人でなければ 教えられないと)
何故でしょうか?
●正しい心持ちの人
道徳感があり 正義感のある人
(漢方薬は神業(かみわざ)的に効果が有る為
神様事に利用して宗教団体を作り
お金稼ぎをしている人達が要る為悪用しない心が大事)
●漢方薬を理解する頭脳 + 熱意と努力
(漢方薬を中途半場にマスターして処方すれば
人殺しをする事になる為
完璧にマスターする理解力
マスターする為の努力と熱意のある事)
●財力のある人
(財がない人は漢方薬も高い物を売りつけようと
する事が多いからだそうです)
貴方の(木室ミヱ子)の運命は
私(漢方の先生)が13年間探し求めていた人材
人材は金を出して 得られるものではないと
言われていました。
漢方の先生は台湾では
最終的なお仕事は宅地開発でした.
台湾の高雄市内がサトウキビ畑の頃から
都心を開発し 序々に郊外を開発
地形学を活かして
此れから 発展する可能性のある都心の郊外を開発する
都心の発展した
一坪100万円の地区を開発し
値上がりしても 数倍
それより 未開発の一坪1万円地域を
開発して一坪100万円になる事の方が容易い
100倍の値上がりです。
出資者は 3~10億円を簡単に手に入れる。
その為 日本に定住後も
台湾で 開発しましょうとの誘いの
お電話が事務所に入り
台湾には よく行き来されていました。
未開発の地域を数ヘクタールの規模で開拓して
出資者を集め 分譲販売する
そして
そこに スーパーが出店し
病院もできる
学校や役所ができる。
漢方の先生が開発した地区は
高雄にある 有名な澄清湖のある地域です。
その地域の市役所を漢方の先生と尋ねました。
大変 驚きました。
市役所職員全員が
玄関で出迎えて下さいました。
宅地造成業を台湾でされていましたが
台湾が独立国でない為
中国の共産党が台湾を支配する
かもしれないという恐怖感
台湾に戒厳令が敷かれている時代でした。
財産を認めない共産党を恐れ
外国で暮らせる財力と能力のある
多くの 台湾の方々が
カナダ アメリカ オーストラリアに
移住していきました。
その中で
漢方の先生は日本に移住してこられ
日本に在住当初は
東京の麻布で中国美術という会社を興していました。
福岡に引っ越してこられた理由は
福岡が博多駅周辺に空き地が沢山あり
そのような都市は
将来 不動産事業は発展する。
事業は人口100万人以上の都市を選ぶ事。
そして 何より
福岡は台湾料理を作る為の食材が安く
豊富に揃っている。
東京では 食材が揃わない。
食通の先生でした。
蒋介石と共に台湾に渡った
水墨画を描く画家の方々に水墨画を依頼し
沢山の水墨画をお持ちでした。
私も沢山の台湾にある美術館巡りをして
水墨画をみる目を養い
漢方薬を販売しながら
水墨画を陳列し販売していました。
先生とのお仕事は 本当に面白いものでした。
億の単位でお金が動く
スケールの大きい事業でした。
漢方の先生も福岡に定住して 3年程で未だ
帰化手続きをしている最中でした。
ここでも
またまた 法務局の人達に対して
大変怒っていました。
日本は財産を持った外国人は悪い事をして
お金を得たみたいな扱いをして
財産のある人を受け入れない。
金持ちの人が沢山 日本に在住すれば
税金を沢山納めるのだから 国は豊かになる。
何故 お金の無い人達には 寛大で
財産を持った人には手厳しいのか?
本当に その通り 不思議でした。
会社を福岡で物産会社や賃貸ビルの会社を
興しているのですが
それでも 帰化するのに
漢方の先生は 8年もかかりました。
賃貸ビル業の方は
私が入社当初はビルは3棟でした。
70~80%の空室だらけのお部屋を
不動産の方々が案内するより
ミエ子さんが案内した方が入居契約されると言う事で
私が案内していました。
今 考えて
本当に欲の無い谷川ミエ子(旧姓)でした。
ただ ただ
ビルの空室が埋まる事が嬉しい。
1年間で3棟のビルは ほぼ
満室となりました。
会社が利益が上がる事が嬉しい。
社長(漢方の先生)の喜ぶ顔が嬉しい。
それだけでした。
敷金や家賃が次々入金される。
会社経営は順調
一度も 給料アップをしてもらいたいと
考えた事はありませんでした。
社長(漢方の先生)を信頼していましたので
全て 社長の指示に従いました。
私から 給料や待遇面で要求した事は
何一つありませんでした。
福利厚生や給料アップ等々
思いもつかない事でした。
それが
又 社長(漢方の先生)の信頼を得て行きました。
薬局を共同経営する為に
毎月10万円を財形貯蓄し
1万円が家賃 4万円での生活でした。
ミエ子さん
種を植えるでしょ
芽が出るでしょ。
二つ葉が出る時に
この一つの葉を食べたいと思う
でも 我慢するんですよ。
この時に 片方の葉を食べたら
成長を大きく 阻害します。
そのうち その芽が大きく育ち
大きな樹木になった時
反って逆に
大きく広がりすぎた枝を切り取らなければ
成長を阻む事になります。
沢山の葉を食べても 樹木の成長に影響しない
その時まで 我慢するんですよ。
4万円では健康保険さえも延滞
払えません。
薬局を開局し 売り上げが確実に上がり
給料がアップした時
健康保険の滞納分を一度に支払いました。
漢方薬は1年間でマスターしなさい。
1年後には漢方薬局を開局します。
最初 冗談だと思いました。
しかし
1年後 清川名店街ビル 1階で
家賃を払うのはもったいないと言う事で
株)オーリン物産がお茶器具屋さんの後を買い取り
株)オーリン物産に家賃を支払う形で
先生が55%
私が45%の出資
オーリン漢方専門薬局を開局しました。
順調に売り上げは伸びていきました。
最初に出店した薬局が
大和ハウスにより地上げされる事となり
合計 3千500万円で店舗 倉庫 住宅を購入していた持ち分が
4年半で 4億5千万円で売却できました。
その後も
購入したビルが1年間で3倍の値段が付き
台湾の方と共同で購入したビルでしたが
台湾の方がアメリカに資産を全て移したいと言う事で売却
短期譲渡では税金が非常に高い為に
税金対策で ビルを購入する
為 ビルは増えていきました。
開局から 10年程経て
台湾から漢方をする薬剤師の先生が来ました。
日本の薬剤師と二人います。
ミエ子さん独立して宜しいですよ。
独立する際
薬局の名簿は一切持ち出さないで下さいとのことで
薬局に来局されていた患者さんとの
縁が全て切れてしまいました。
博多駅前3丁目国民金融公庫の
隣にあるビル 博多駅前SSビル1階
12.43坪の店舗からスタートしました。
私が漢方の先生の元を去り
3年後には先生は漢方薬局を閉局し
その後
腎不全 → 腎臓透析で亡くなりました。
私が退社して 7年後でした。
肝臓が弱く腎臓は非常に強い人でした。
私が去った後 非常に元氣だった先生が
急激に腎臓が病となり
亡くなられました。
享年70歳でした。
18年前の事です。
今の私が薬局経営の厳しい試練や
会社経営の厳しい試練に 絶えられたのは
その時の コーヒー1杯のお金が惜しくで
コーヒー1杯が 飲めない惨めさ
この 惨めな思いが 私を支えました。
みじめなままで一生を終えたくない。
赤字が続く いつになれば黒字経営になるのか
恐ろしく 辛い時期 眠れない時期を
踏ん張れたのは みじめな生活をしたまま
一生を終えたくないという思いでした。
この時思いました。
ギャンブルは遊びだけだと思っていましたが
事業する事もギャンブルと同じ
失敗すれば
投資した資金は全て ゼロ
事業する事はギャンブルと同じと思いました。
同じ年の若者は 人生を楽しく謳歌している
この時期 私は漢方薬を学ぶ事と事業資金を貯める事で
せっかくの遊んで楽しいと思う時期を
遊ぶ事無く 楽しむ事無く
漢方の勉強と貯金
がむしゃらに勉強していました。
現在 すでに遊んで楽しいと思うような
年齢は過ぎてしまいました。
遊んで楽しく おしゃれに人生を謳歌して
勤務する人生が 得する 今の世の中
今の日本は 努力して
会社を企業し
多くの社員の生活を支えて来た
そのような経営者の人達に対して
次々に打ち出す政策は
会社経営はするもんではありませんよと
突きつけているように感じます。
漢方の先生との漢方薬局の共同経営
薬局を開局後は
薬局での小売業の売り上げ利益を
先生はビル経営に回し ビルを買い足していく。
小売りで上げた利益をビル購入に充てる
非常に理想な形と漢方の先生は
大変喜ばれていました。
入社当初 3棟だったビルが10棟になるのに
時間はかかりませんでした。
私が先生との仕事をした9年間の出来事です。
私と先生の運命もまた
非常に支え合ういい関係でした。
先生が木(肝臓の弱い人 ): 子供
私が水(腎臓の弱い人) : 母
漢方の先生が私の子供にあたる臓器の関係です。
水(腎臓の弱い人)は木(肝臓の弱い人 )を育てる
水(腎臓の弱い人)は木(肝臓の弱い人 )の親にあたり
木(肝臓の弱い人)を 育てるのです。
水(腎臓の弱い人)は火を旺盛に持っています。
その為に心臓は強い
水(腎臓の弱い人)は 心臓と胃腸は非常に強く
その強い臓器が 体をまた支えてくれています。
胃腸の強い人は土も沢山持っています
木は土を必要とします。
その必要な土を
水(腎臓の弱い人)は木に与える事が出来るのです。
水(腎臓の弱い人)は土を沢山要らない
何故でしょう?
土は水を濁します。
多すぎる土はいらない
しかし 木は土がないと育たない
水(腎臓の弱い人)は火と土を
木(肝臓の弱い人)に
与えて育てるのです。
木(肝臓の弱い人)は肺臓と胃腸は非常に強く
その強い臓器が体をまた支えてくれています。
木は金と土を沢山持っています。
ここでは 腎臓に 金を与える事が出来ます。
金は水を生みます
金鉱脈のある所に必ず 水があります。
木(肝臓の弱い人)は水(腎臓の弱い人)に
腎臓が必要とする金と水を沢山与える事が出来ます。
金が多すぎると
金は木を切る為
肝臓は金を取ってくれる人が欲しいのです。
それが 水(腎臓の弱い人)なのです。
水(腎臓の弱い人)は火が旺盛すぎると
火が水(腎臓)を枯らしてしまう。
腎臓は肺臓の親から水を得て
元氣に働ける臓器です。
腎臓が火が旺盛過ぎると 腎臓が弱体化する為
火はいらない
木(肝臓の弱い人)はその火が欲しい
木は太陽の火があってこそ
育つものだからです。
木は火が欲しいのです
水(腎臓の弱い人)は 余分な火や土を
木(肝臓の弱い人)が取り除いてくれる
助かるのです。
木は 根の部分に水を沢山持っています
しかし
水が多すぎると根がくさる 根腐れするのです
多すぎる水を 取ってもらいたいのです。
お互いに要らないもの取ってもらい
成長する
その要らないものがお互い必要としているものです。
与えあう 関係にあるのです。
人は 補う合う関係にある人がいると
強運となり 仕事も順調に行きます。
しかし
阻害する運命の人は
全てを失わせてしまいます。
前世の縁が影響するのでしょうか?
土地が値上がりしている時は
銀行にお金を預けるのはもったいない
ビルを購入していく。
ビルの値段が1年間で3倍以上 上がる時期でした。
運命計算後 漢方の先生の会社に勤め
賃貸ビル業のお手伝いをしながら
漢方薬をお教え頂きました。
醫方集解(漢方医になる為の必読書です)の著書
北京語の古文体で書かれた 文章を読みこなし
理解する。
面白い事は 入居者の方々が契約時に
運命計算を台湾の先生にして頂きましょうと言われて
運命計算に興味を持つ
そして
その運命計算が当たっているのか
追跡調査をしていました。
本当に ぴったり 当たるのです。
ただし
運命計算も上手な人と下手な人がいる為
注意しなければならない
との事でした
凄いです。 ぴったり 当たります。
その運命計算の先生が言われていた 言葉です。
「その性格ありて その運命あり」
性格を良きように改めれば
運命も良き方向に変わると言う事です。
道徳観を持ち
天は見ている
人はごまかせても 天はごまかせない
天 神様に愛される生き方をする事。
敬天愛人 (けいてんあいじん)
天を敬い人を愛す
人が喜ぶ事 徳になる事は 人にあげなさい
人に泣かされ 裏切られ
カスをとって損をしたようにみえても
実際は 運命が開く方向
運が開くお仕事に縁が付いて行くのです。
此れまでの生きた63年間で
その考えに至りました。
確信しています。
それは その時にはわかりませんが
2~3年以降に分かる事です。
人を泣かせて
自分が徳をする方向に言ったつもりでも
実際は 運が落ちる方角 運の落ちる人との縁となり
運が落ちていく。
60才の時に 思いました
「人生は帳尻合わせ」
人は努力したら 努力した分幸せになる
しかし 怠ければ 怠けた分の人生です。
今 世の中を見ていて
余りにも 道徳観の無い
こすい マナーの無い人が多い。
日本には 武士道があり
禅の心が有るのに
今の世の中を残念に思います。
体に日本人の遺伝子として
その心が有るのに
閉じ込めて 活かさない。
欲の塊の心 人を泣かせて
利益を得る事を 堂々としている企業さえある。
悲しい世の中です。
そのような 世の中で
漢方薬を服用する事で 体が健康になり
自分の能力を発揮できる体を取り戻し
心が穏やかになり
周囲の人にも心遣いができる。
暗記力 記憶力 集中力が復活し
効率のよい仕事ができるようになり
出世 昇給する。
収入が増える。
経済的にも豊かになり
心も 欲を掻かない
世の中の爲になるような
生き方をする方々が増えてくれる事を
願い 日々 漢方薬を処方しています。
私は 政治家ではありません
この 今の時世
欲の突っ張った世界を
正常な世界に変える事は出来ない
でも
この漢方薬で 小さな所から 平和を作る
今でも 私の周りの人々
私に集まる 患者様達
本当に素晴らしい 人格の方々が多い
そのような方々が私の患者様として
縁がついていると
いつも 感じています
人生 頑張っている方々だから
一生懸命応援できる
患者様の爲に 一心に 処方を考える。
そのような 仕事ができる立場
そのような私の仕事
運命に日々感謝しています。
此れも
台湾の漢方の先生に出会えた事が
私の運命を開きました。
今でも
漢方の先生が亡くなった事が悲しい
私の頑張る姿を漢方の先生に見守って頂きたかった。
残念でたまりません。
漢方の先生に尋ねました。
先生は何故
漢方薬を学ぼうと思われたのですか?
「建設業をしている時 家を販売すると
酷い値引きを強要したり 払わなかったり
一番汚いのが医者だった」
「だから 台湾の医者に
家族や自分を殺されたくなかったから
漢方薬を学んだのさ」