日本の漢方製剤産業の歴史 新井一郎
History of Japanese Kampo Medicines Manufacturers*1
Ichiro Arai*2
漢方製剤産業の現状
厚生労働省が,毎年,公表している
「薬事工業生産動態統計年表」 1) によると,
2013年の「漢方製剤等」の生産金額は1,599 億円である.
この「漢方製剤等」には,
「漢方製剤」,「生薬」
(主として煎じ薬として患者に処方されるもの),
「その他の 生薬及び漢方処方に基づく医薬品」
(龍角散や養命酒など,生薬を原料にしているが,
漢方薬ではないもの)が含まれ,
各々 の生産金額は,
1,493億円(93%),34億円(2%),73億円(5%)である
.すなわち,
わが国では,漢方薬の大部分は漢 方製剤
(ほとんどは煎液を乾燥させた乾燥エキス製剤)であり,
煎じ薬としての使用は少ないことがわかる.
正式な統計 資料はないものの,
中国や韓国では,
現在でも煎じ薬としての処方が過半数を占めており,
中国医学を源流にもつ伝統薬 を
使用している国々の中では,
わが国のみが異なる状況にある.
また,この「漢方製剤」の生産金額のうち
1,301億円(87%) が「医療用漢方製剤」,
191億円(13%)が「一般用漢方製剤」
および「配置用家庭薬」である.
すなわち,
わが国で使 用されている漢方製剤は,
医師が処方する漢方製剤が大部分ということになる.
漢方製剤を生産・販売する企業の
ほとんどは非上場企業であり,
それらの売上額は公表されていないが,
2010年の野 村総合研究所の報告2) によると,
医療用漢方製剤市場の83%はツムラが占め,
次いでクラシエが10%,
残りの7%を数社 が分け合っている状況である.
一方,
一般用漢方製剤市場は,
クラシエ30%,小林製薬11%,
ロート製薬8%,ツムラ 5%,
その他46%となっている.
これらの数字から計算すると,
医療用,一般用をあわせた「漢方製剤」
全体の市場シェ アはツムラが79%,
クラシエが12%ということになる.
漢方エキス製剤の誕生
わが国におけるはじめての漢方エキス製剤は,
第二次大戦中に最初の作成が試みられたとの報告3)
もあるが,実質的に は,
戦後まもなく,武田薬品工業の渡辺 武,
後藤 実の両氏により作成されたものが最初である4~9).
1950年,京都の
細野診療所の細野史郎,坂口 弘の両医師は,
日本東洋医学会関西地方会有志に対し,
この,武田薬品工業の技術で作成 した
エキス製剤を無償で提供し,
臨床での効果判定を呼びかけたが,
それに応える者はほとんどいなかった9~11).
細野診 療所では,
これ以後,独自に漢方エキス製剤を作成し,
臨床で使用していくことになる.
一方,
武田薬品工業では,この 技術を利用して,
1956年,小承気湯,厚朴三物湯,麻子仁丸の
生薬を配合したオートール糖衣錠を
緩下剤として発売し ている12).
発売に際しては,少数例ではあるが,
阪大,京大において臨床試験を実施している.
しかし,
この後,この日 本最大の製薬企業は,
本格的に漢方エキス製剤の製造
・販売に乗り出すことはなく,
一部のOTC漢方製剤,
生薬製剤の 製造・販売にとどまることになる.
*1 *2 本稿は,
2015(平成27)年4月18日,
日本薬史学会公開講演会
(東京大学大学院薬学系総合研究棟講堂)
で行われた講演の 要旨である.
日本薬科大学薬学部漢方薬学分野教授
Professor, Nihon Pharmaceutical University,
Department of Kampo Medicines.
10281 Komuro, Ina-machi, Kita-Adachi-gun, Saitama 362-0806.
(2)
はじめて市販された漢方エキス製剤は,
1957年の小太郎漢方製薬の31処方である13).
これは,
阪大薬学部の木村康一 教授,
高橋真太郎助教授の指導の下,
桑野重昭助手が小太郎漢方製薬に移り,
真空減圧乾燥でエキスを脱水,
赤外線乾燥 装置で乾燥粉末とする方法で
作成したものである.
当時は,医療用/一般用製剤の区別がなく,
小太郎漢方製薬は医師へ の
売り込みをはかったが,
うまくいかず,主として,薬局で販売された14, 15)
.この小太郎漢方製薬の
「早すぎた漢方エキ ス製剤」に
時代が追いつくまでには,
さらにかなりの時間を要することになる.
漢方薬の承認基準の整備
1960年,
日本薬局方に収載されていた生薬が薬価収載された.
これは翌1961年に開始される
国民皆保険制度に備えた ものと考えられる.
1963年には,
厚生省薬務局から
「調剤容易な配合剤は薬価基準に収載しないが,
医療機関でこの種 の配合剤を使用した場合には,
既収載の単味製剤の合算により
請求できるものとする」という告示がなされ,
漢方薬の煎 じ薬を保険で投与することが可能となった.
1963年には申請の手引き書である
「医薬品製造指針」に
漢方エキス製剤の承認基準が,
かなり具体的に記載されてい る16)
.1970年代になってからの漢方製剤の
承認基準とほぼ同じものが,
はやくもこの時代に示されていることは,
非常 に興味深いことである.
「医薬品製造指針」における
漢方製剤の承認基準は
その後も改定が続けられ,
1971年には,
医療 用漢方製剤を推測させる
「医科向け品」という言葉も出現している17).
1967年の第7改正日本薬局方には,
葛根湯,小青竜湯,小半夏加茯苓湯の
3つの処方が煎じ薬として収載された.
1930年の第二改正日本準薬局方には
147の漢方処方が収載されていたが,
その後,
長らく日本薬局方から漢方処方は消 えていた.
久々に,
日本薬局方に漢方処方が復活することになった.
1970年からは,
厚生省薬務局製薬課・岡浩策課長の
私的な会議として,
漢方打ち合わせ会と称するものが開催され,
本邦の代表的成書
(主として昭和期の代表的漢方医学解説書)
から623処方が選ばれ,
その中から
一般用に適した346処 方が
選定されている10, 11).
1971年には,
中央薬事審議会一般用医薬品特別部会に
漢方生薬製剤調査会が設けられ,
産官学 でこの346処方から210処方を選び,
構成生薬,用法,用量,効能・効果などを決定し,
1975年に,
「一般用漢方処方の 手引き」として
出版された18)
.この間の
1972年11月14日に,
厚生省の全国薬務主管部課長会議が東京で開催され,
そ の会議で製薬第1課が
一般用漢方製剤の承認審査内規を明示している19).
内容は,その後,
「一般用漢方処方の手引き」
に記載される内容と同一である.
なお,当時は,わが国において,
サリドマイド事件,
アンプル入り風邪薬事件,
スモン事件が続けておこり,
西洋薬の 副作用に対する不安が
大きかった時代であった.
医療用漢方エキス製剤の薬価収載
1967年9月から,
わが国では,
医療用医薬品,一般用医薬品の申請が
別々に行われることになった.
この月,
小太郎 漢方製薬の
十味敗毒湯,葛根湯,五苓散,当帰芍薬散の4種の
漢方エキス製剤が薬価基準に収載され,
初めての医療用漢 方製剤となった.
この際,十味敗毒湯を除く3処方は
臨床データなしに薬価収載されている15).
この承認には,
小太郎漢 方製薬で漢方エキス剤の
開発を行った桑野博士の
阪大薬学部生薬学教室の後輩で,
当時厚生省の製薬課で漢方・
生薬の審 査を担当していた
藤井正美氏が関わっていた20).
なお,藤井氏は,
第7改正日本薬局方への漢方処方の収載,
医薬品製造 指針における
漢方製剤の承認基準の作成な
ども担当している.
1976年は,
“漢方エキス製剤元年”と呼ばれる年で,
小太郎漢方製薬の21処方,
津村順天堂(現・株式会社ツムラ) の33処方が
一挙に薬価収載された.
この医療用漢方製剤の大量承認は
当時,
日本医師会会長であった武見太郎氏の
超 法規的な力により臨床データなしに
承認がなされた,との説が根強い.
しかし,仮に武見氏が,
最終的に,ボタンを押し たとしても,
この医療用漢方製剤の大量承認は,
いままで述べた1960~1970年代の
さまざまな出来事の総合的な結果と
考える方が,現時点においては妥当であろう.
漢方打ち合わせ会,
および
中央薬事審議会漢方生薬製剤調査会の委員で
あっ た菊谷豊彦氏は,
「漢方エキス化技術開発,
漢方産業界の存在,
社会的・医学的背景
,漢方薬研究の発展,
医薬品製造指 針の発刊,
210処方の成立,
カリスマ的存在の
日本医師会会長・武見太郎氏等々,
どれをとってみても,
これだけ揃わな ければ,
漢方製剤の薬価収載はあり得なかったであろう.」
と述べている21).
(3)
これ以後,
多くの会社から,
製造方法および品質管理の
データだけによる
漢方エキス製剤の大量の申請が続いた.
「一 般用漢方処方の手引き」
の成立以後は,医療用漢方製剤も,
この手引きに基づいて
申請することになったため,
「逆スイッ チ」と呼ばれている.
1976年には27億円であった
医療用漢方製剤の市場は,
1980年には154億円にも達していた.
医療用漢方製剤の承認基準の変更
臨床試験を行わず,
開発費用もかけないで,
簡単に医療用医薬品が承認され,
かつ,大量に売れていくことは
多くの批 判を招くこととなった.
これらのことからか,
1980年6月には,薬審804号
「医療用配合剤の取り扱いについて」22)
が発 出され,
これ以後に申請する医療用漢方製剤には
臨床データの提出が義務づけられることになった.
この通知以後に新規 に申請され,
承認された医療用漢方製剤は
今のところ1品目もない.
言い換えると,
現在の全ての医療用漢方製剤は,
1980年までに臨床データなしに申請が行われて,
承認が得られたものということになる.
なお,
薬審804号は,
この通 知が発出されて以後の
新しい申請を規定するものであり,
それ以前に申請された医療用漢方製剤の承認は,
この後も 1986年まで続くことになる.
小柴胡湯と病名漢方
1980年代も,
医療用漢方製剤の売り上げは,
右肩上がりの伸張を続け
1992年の生産金額は
1,542億円と1980年の10 倍に達した.
特に,1980年代後半の売り上げを牽引したのは
慢性肝炎患者のGOT, GPTを
低下させる報告が相次いだ小柴胡湯であ る.
1992年には,
小柴胡湯だけで
医療用漢方製剤の全生産金額の25%をも占めている.
この時代は,
C型肝炎は,まだ 非A非B肝炎と呼ばれており,
インターフェロンなど
肝炎ウイルスを標的とした薬剤は
まだ出現していなかった.
当時 の慢性肝炎治療の基本は,
肝庇護薬である
強力ネオミノファーゲンCの静脈内投与であった.
しかし,
頻繁に病院に来 られない
外来患者には,
経口剤である小柴胡湯が好んで処方された.
強力ネオミノファーゲンCの
主成分の1つは,
甘 草に含有されているグリチルリチンであるが,
小柴胡湯にも甘草が含有されることから,
「小柴胡湯が効くのは
グリチル リチンが含有されているからである」,
「小柴胡湯は飲む強力ネオミノファーゲンCである」
と言う医師も多くいた.
当 時は,医薬分業が進んでおらず,
また,
大部分の医師は
「漢方薬には重篤な副作用はない」
と考えていたため,
外来の慢 性肝炎患者に
「何か薬剤を処方する必要がある」
との理由により小柴胡湯が爆発的に投薬された.
小柴胡湯は,
漢方製剤 の中では比較的薬価が高く,
薬価差益も大きかった.
このことは,
漢方製剤産業にとっても
医療機関にとっても好都合で あった.
これをきっかけに,
漢方を専門としない一般の医師にも
漢方製剤が浸透していった.
彼らは,患者の証をみて
処 方を選択するのではなく,
保険効能の病名だけを
用いて投薬したため,
漢方専門医からは,
「病名漢方」と
陰口をたたか れることとなった.
しかし,
この現代医学データをもとに
漢方製剤を投与するという
「病名漢方」こそが
中国,韓国に比 較しての
わが国の特徴であり,
漢方が,中国や韓国の伝統医学に
比較して科学的に優れている
という論拠の一つとなって いる.
しかし,
この小柴胡湯の恩恵にあずかったのは
ツムラと小太郎漢方製薬だけであった.
小柴胡湯の保険効能に
肝疾患が 含まれていたのは,
ツムラと小太郎漢方製薬の
小柴胡湯だけだったからである.
現在の医療用漢方製剤の
効能効果を見て みると,
小太郎漢方製薬,三和生薬,ツムラの3社だけ
の効能・効果が,
他のメーカーのものと異なる
場合が多いことに気 付く.
これは,
1975年以後の
医療用漢方製剤の申請には,
「一般用漢方処方の手引き」
の効能を使用しなければならなかっ たのに対し,
それまでに
数多くの申請を行っていた
小太郎漢方製薬,
三和生薬,
ツムラの3社は,
独自に成書を選び,
識 者の意見も聞いて,
独自の効能で申請し,
承認を得ていたからである.
「一般用漢方処方の手引き」
の効能には肝疾患の 記載はなく,
三和生薬も,
申請した小柴胡湯の効能には
肝疾患を入れていなかった.
そのため,
肝疾患の効能を有してい た
小柴胡湯は「肝機能障害」の効能を
有するツムラの製品と
「肝臓病」の効能を有する
小太郎漢方製薬の製品だけであっ た.
ただ,
逆に言うと,
ツムラや小太郎漢方製薬の
小柴胡湯の効能に
肝臓病の文字があったからこそ,
小柴胡湯の慢性肝 炎への
トライアルが行われ,
小柴胡湯が慢性肝炎の
トランスアミナーゼを下げる
ことが発見されたともいえる.
いずれに せよ,
大部分のメーカーは,
この小柴胡湯ブームにのれず,
売り上げの差が開いていった.
カネボウ(現クラシエ)は,
自らの小柴胡湯で
慢性肝炎に対する二重盲検試験を
実施してトランスアミナーゼを
低下させる作用を証明したが23),
カネ
(4)ボウの小柴胡湯に
慢性肝炎の効能が
加えられることはなかった.
カネボウをはじめ,
全社の小柴胡湯の効能に
「慢性肝炎」 が追加されるのは,
このカネボウの
二重盲検試験の結果をもとに
再評価結果通知が出された1995年である.
しかし,
肝 炎に小柴胡湯を頻用する時代は,
すでに過ぎ去っていた.
漢方製剤産業の試練
漢方製剤産業は,
今日まで,
ずっと,順風満帆できたわけではない.
最初に訪れた試練は,
1983年の医療用漢方製剤の
保険削除の動きである.
1983年5月,
厚生省吉村保険局長の
「漢方 薬の保険薬価削除を検討している」
とのコメントがマスコミで報道された24).
この背景には,
保険財政の厳しさがあった
ことは言うまでもないが,
医療用漢方製剤は
臨床データなしに
超法規的に承認されたとの声や,
一部において新薬に
上乗 せして安易に
使用されていたということもあると思われる.
この時は,
日本東洋医学会が
約3万人の署名を集めて
衆参両 院議長などに嘆願書を提出して,
事なきを得ている25).
この保険外しは,
1993年,1997年,近いところでは,
2009年の 行政刷新会議での事業仕分け,
2015年の財務省財政制度等審議会財政制度分科会など,
その後も
何度も繰り返してあら われることになる.
2つ目の試練は,
漢方エキス製剤の品質問題である.
1981年頃から
漢方エキス製剤は
煎じ薬に比べて,
生薬由来成分の 含量が低いという
報告がなされ26, 27),
このことは
マスコミでも報道された28~31).
これに対し,
1982年から厚生科学研究
「漢 方エキス製剤の
規格基準作成に関する研究」が開始された.
この研究班の結論は,
「漢方エキス製剤の品質は,
標準湯剤
(標 準的な生薬を用いて古典的な方法で作成した煎剤)
との,エキス,および2種類以上の
品質管理指標成分の
量の同等性で 担保する」
というものであった.
このことを実現するために
1985年に,
いわゆる“マル漢”通知として知られる
厚生 省薬務局審査課長通知
薬審2第120号
「医療用漢方エキス製剤の取り扱いについて」32)
が発出され,
翌年までに,
全ての 医療用漢方エキス製剤は
代替新規申請を行い,
この新しい規格の製品に生まれ変わった.
この際,
薬価も,同一名処方で あれば
同じ価格にリセットされた.
しかし,薬価は銘柄別収載であったため,
その後の
各社の販売方法により薬価の下げ 幅が
異なることになり,
現在では同じ処方でも,
メーカー間で大きな薬価の差を生じている.
3つ目の試練は,
最大の試練である小柴胡湯の副作用である.
小柴胡湯により間質性肺炎がおきることは
1989年には じめて報告され33),
1991年,1993年に使用上の注意が
改定されていたが34, 35),
死亡例は,まだ,知られていなかった.
し かし,
1996年3月2日の朝日新聞の一面トップで
「漢方薬副作用で死者10人」
との報道がなされ36),
その月に
緊急安全 性情報(イエローレター)
が出された37).添付文書において,
間質性肺炎は
「警告」に格上げされ,
インターフェロンと の併用は禁忌となった.
当時,
大部分の医師,患者は漢方薬には
重篤な副作用はないと考えていたため,
このことは
「漢 方薬の安全性神話が崩れた」と言われた.
これをきっかけとして,
小柴胡湯のみならず,
全ての漢方薬の売り上げが,
大 きく低下することとなった.
2000年には,
医療用漢方製剤の生産金額は841億円と,
1992年のピーク時の1,542億円に 比較すると
,55%にまで急降下した1).
1992年に
医療用漢方製剤の
生産金額の25%を占めていた小柴胡湯が
1999年には
10%まで縮小したことが
一番の原因であるが,
副作用が少ないとの理由により,
漫然と投与されてきた部分の
漢方製剤 は一挙に使用されなくなった.
また,
時期を同じくして,
ツムラでは,
1997年に創業者一族の元社長が
巨額債務保証に よる
特別背任罪で逮捕され,
カネボウも,
バブル崩壊による親会社の
業績不振が表面化し,
両社は漢方薬とは直接関係の ない
問題でも経営的に苦しい時期を迎えていた.
その後,
漢方製剤会社各社は経営努力,
リストラを行い,
2000年以後 は堅調な売り上げの
伸びを再び示すこととなった.
4つ目の試練は,
漢方製剤の再評価である.1
990年,厚生省に春見建一を班長とする
「漢方エキス製剤の臨床評価方法 に
関する検討班」が組織され,
医療用漢方エキス製剤の
臨床評価の可能性と方法について
検討がなされた38).
この結果を もとに,
1991年に,本間光夫を座長とする
「漢方エキス製剤の再評価についての検討会」
が開催され,
漢方製剤でも
プ ラセボ対象の二重盲検試験は
可能であるとの結論になり,
8処方の医療用漢方製剤に
ついて再評価指定が行われた39).
1995年には,
小柴胡湯(効能の一部である肝機能障害),
大黄甘草湯(便秘症),
1996年には小青竜湯
(効能の一部であ るアレルギー鼻炎)に関し,
問題がないという結果通知がなされた.
しかし,
大黄甘草湯以外の
処方について
「薬事法第 14条第2項第3号イからハまでの
いずれにも該当しない」,
すなわち,
対象とする漢方製剤の有効性,
安全性は,申請書 の通りで問題がない,
との結果通知が出されたのは
2014年4月になってからである40).
1986年のマル漢とこの再評価に
(5)
より,医療用漢方製剤は,
ようやく仮免許状態を脱したことになる.
漢方製剤産業の課題
医療用の漢方製剤は,
1986年のマル漢と同時に,
最後の製品(申請は1980年以前)
が承認されて以来,約30年間,
新規承認がなされていない.
その間には,
いくつかの新しい
医療用漢方製剤の
開発の試みがなされたが,
承認には結びつ いたものはない.
また,
漢方製剤の生物学的同等性の証明は,
限られた成分の血中濃度の
同等性だけでは証明が困難であ ることから,
医療用漢方製剤は
剤形変更も行えず,
新しい製剤技術の導入も行えていない.
しかし,
生物学的同等性の証 明が難しいということは,
同時に,
後発品の承認が困難である
ことを意味しており,
中国や国内の他の企業の
医療用漢方 製剤市場への
参入障壁ともなっている.
新しい製品が出ないことから,
漢方製剤産業の
医療用漢方製剤事業は,
既承認処方の売り上げの
拡大を目指すことにな る.
それは,
医療用漢方製剤を使用する医師の数
そのものを増やすこと,
および,
現行の医療用漢方製剤の
効能・効果内 での新規応用,
たとえば,
神経症や不眠症の効能を
持つ抑肝散を認知症の興奮性の
周辺症状に応用することなどである.
しかし,
合成薬と同じルールによる
定期的な薬価の下落,
および中国の近代化などに起因する
原料生薬の価格上昇があり,
その分を上回る売り上げ増が必要とされている.
一方,
2008年以後,
一般用漢方製剤の承認基準である
「一般用漢方製剤の手引き」
に収載される漢方処方の
種類が増 やされ,
2014年には294処方となっている41).
しかし,
漢方製剤産業は,
この規制緩和を十分に生かせておらず,
増や された漢方処方のすべてが
一般用薬として販売されているわけではない.
国内市場の成長が鈍化した場合,
外国市場に活路を求めるのが
日本企業の通例であるが,
漢方薬の使用経験のない海外 においては
医薬品としての認可のハードルは高く,
未だに実現していない.
現在は,
漢方製剤産業は,
薬価の下落と原材料費の高騰と言う
5つ目の試練を迎えている.
いままで,
幾多の試練を乗 り越えてきた
漢方製剤産業であるので,
今回も,
この試練をなんとか乗り越え,
日本の伝統薬である漢方薬を
今後も国民 に安定的に供給して
いってもらいたいと願うものである.
参 考 文 献
1)日本漢方生薬製剤協会.漢方製剤等の生産動態2015.日本漢方生薬製剤協会ホームページ.http : //www.nikkankyo.org/publication/ movement/h25/all.pdf(accessed 1 May 2015) 2)森田哲明.“日本がかわる,エッジが変える”エッジ産業分析レポート(第2回)漢方薬 野村総合研究所ホームページ.https : // www.nri.com/jp/event/mediaforum/2010/pdf/forum125_2.pdf(accessed 1 May 2015) 3)秋葉哲生.医療用漢方製剤の歴史.日本東洋医学雑誌.2010;61(7):881-1 4)渡辺 武,後藤 実.漢方方剤の煎出法に関する研究.日本薬学会近畿支部例会講演要旨集.1947.p. 54 5)渡辺 武,後藤 実.漢薬類の精油含量について.日本薬学会講演要旨集.1948 6)渡辺 武,後藤 実.漢方方剤の煎出法に関する研究(第1報)麻黄湯に就いて.日本東洋医学雑誌.1952;3(1):26-30 7)渡辺 武,後藤 実.漢方方剤の煎出法に関する研究(第2報)漢薬類の精油含量について.日本東洋医学雑誌.1953;4(2):19-23 8)渡辺 武,後藤 実.漢方方剤の煎出法に関する研究(第3報)精油含有生薬を配互する漢方剤について.日本東洋医学雑誌. 1953;4(2):23-6 9)渡邊 武.傘寿宝談(2)渡邊武博士に聞く.漢方の臨床.1994;40(12):1685-96 10)菊谷豊彦.漢方製剤の医史学的管見.神奈川医学雑誌.2002;29(2):261 11)菊谷豊彦.漢方製剤薬価収載までの状況.漢方の臨床.2006;53(9):1467-8 12)新発売紹介 緩下剤 オートール糖衣錠.武田薬報.1956;No. 85:2-3 13)漢方臨床家・薬局待望のエキス35方遂に完成.漢方の臨床.1957;4:10-11 14)菊谷豊彦.漢方製剤の医史学的補遺.神奈川医学会雑誌.2004;31(1):71 15)蔡宗傑.漢方製剤の歴史と上位19処方.東静漢方研究室.2001;24(3,4):37-45 16)厚生省薬務局監修.医薬品製造指針1963.薬事時報社,1963 17)日本公定書協会編.医薬品製造指針1972年版.薬事時報社,1971 18)厚生省薬務局監修.一般用漢方処方の手引き.薬事時報社,1975 19)漢方製剤承認審査の内規.漢方医薬.1972;456-63 20)藤井正美.小太郎と私.小太郎漢方50年史.小太郎漢方株式会社,2002.p. 7-8
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21)菊谷豊彦.漢方医学の将来.漢方の臨床.2005;52(11):1771-4 22)厚生省薬務局審査課長,厚生省薬務局生物製剤課長.医療用配合剤の取り扱いについて.薬審第804号.1980. 6. 25. 23)平山千里,小川暢也,辻 孝夫,谷川久一,佐藤俊一,矢野右人,他.多施設二重盲検試験による慢性活動性肝炎に対する小柴胡 湯の臨床効果 血清酵素活性の変動.肝胆膵.1992;25:551-8. 24)ビタミン,風邪薬,漢方薬 保険適用から除外.読売新聞,1983. 5. 3 25)菊谷豊彦.(特別企画)巻頭インタビュー15漢方医療保険問題の第一人者,菊谷豊彦氏に聞く!漢方薬の薬価基準収載の裏話と保 険問題の現況を語る.月刊漢方療法.1999;3(4):246-53 26)鳥居塚和生,本間精一,安藤智子,上野雅晴,堀越 勇,桜川信夫,他.漢方エキス製剤の比較(煎液と各社漢方製剤との比較). 日本生薬学会第28年会要旨集,1981.p. 36 27)橋本和代,高橋宏和,広瀬紅,野口佳子,小西英玄.漢方エキス製剤に関する一考察(その2).日本東洋医学会関西支部例会要旨集. 1983.p. 71 28)漢方エキス製剤 成分不足.朝日新聞,1986. 4. 19 29)伝統的処方甘い承認.朝日新聞,1986. 4. 19(夕刊) 30)業界データも立証 漢方エキス製剤の成分不足.朝日新聞,1986. 4. 23 31)社説 漢方エキスを徹底的に見直せ.朝日新聞,1986. 4. 25 32)厚生省薬務局審査第一課長,厚生省薬務局審査第二課長.医療用漢方エキス製剤の取り扱いについて.薬審2第120号1985. 5. 31 33)築山邦規,田坂佳千,中島正光,日野二郎,中浜 力,沖本二郎,他.小柴胡湯による薬剤誘起性肺炎の1例.日本胸部疾患学会 雑誌.1989;27(12):1556-61 34)厚生省薬務局.小柴胡湯と間質性肺炎.医薬品副作用情報,No. 107.1991. 3 35)厚生省薬務局.インターフェロンα製剤及び小柴胡湯と間質性肺炎.医薬品副作用情報,No. 118.1993. 1 36)漢方薬副作用で死者10人.朝日新聞,1996. 3. 2 37)厚生省.緊急安全性情報 小柴胡湯の投与による重篤な副作用「間質性肺炎」について.1996. 3 38)春見建一.漢方エキス製剤の再評価の基本理念について.カレントテラピー.1995;13(9)1668-71 39)厚生大臣 下条進一郎.厚生省告示第13号 1991. 2. 1 40)厚生労働省医薬食品審査管理課長.医療用医薬品再評価結果 平成26年度(その1)について.薬食審査発04071号.2014. 4. 7 41)合田幸弘,袴塚高志 監修.日本漢方生薬製剤協会 編集.新 一般用漢方処方の手引き.じほう,2013
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総会講演 薬史学雑誌 50(1),7-12(2015) 日本の無機系医薬品の歴史*1 桜 井 弘*2 History of Inorganic-pharmaceutics in Japan*1
Hiromu Sakurai*2